国指定特別史跡 新居関所

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井上通女について知る

父・本固に英才教育を受け、和歌や漢詩、漢文を学んだ。
『素直さと真面目さ』という父の教えを貫き通し、
これに恵まれた資質が相乗して若いながらにも
その名を江戸にまで轟かせていた。

16歳の時
『処女賦』…未婚女性の心得
『深閨銘』…既婚女性としての自戒の文

を著書。
これが評価され22歳の時、江戸へ奥女中として招かれる。


井上通女その生涯

万治3年(1660年)
   讃州(香川県)丸亀藩士 井上儀左衛門本固 の第3子として生まれる。
16歳
   『処女賦』、『深閨銘』を書く 『処女賦』…未婚女性の心得 『深閨銘』…既婚女性としての自戒の文
22歳
   丸亀藩主 京極高豊の母である『養性院』が『処女賦』、『深閨銘』を 見て、その文才と儒教的な
   女徳に惚れ込んでしまい、 通女を江戸屋敷の奥女中として奉公させたいと懇願した。
   丸亀(香川)から江戸へ旅をする。
   その際、東海道下りの旅をし、『新居関所』を通った。 30歳まで仕えた。
30歳
   丸亀へ戻り、藩士である『三田宗寿』と結婚 その後、3男2女を授かる。
   『かわらじと頼む妹背の山水に 万代おなじ影をこそ見め』
59歳
   夫・三田宗寿が逝く
    『亡き人の別をおしみ郭公 よを卯の花の蔭になくなり』
79歳
   天寿を全う


優れた文才と女徳が、270年近く経た今日でも評価されており、 通女の伝記は、三男『三田義勝』が
元文3年(1738年)6月23日に死去した母・通女を まだ喪に服していた9月の下旬に書いた
『先妣井上孺人行状』が最も信頼すべきもので、 これより後に書かれた書籍は総てこれを基にして誌されている。

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